井手 誠之輔Ide Seinosuke

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副学長、教授

専門分野

東アジア絵画史

担当科目

地域理解、東アジアの美術文化論 ほか

経歴

1959年、佐賀市生まれ。九州大学文学部卒、同修士終了。長らく東京国立文化財研究所に勤務し、2004年から九州大学人文科学研究院教授に着任。同主幹教授を経てこの春退職し、現在、九州大学名誉教授、東京文化財研究所名誉研究員。美術史学会代表委員、仏教芸術学会運営委員等をつとめ、文化庁、佐賀県、福岡県、山口県、福岡市等の文化財審議委員を歴任。東アジア絵画史を専門とし、大陸及び半島由来仏画を制作当初の地域社会との関係性に戻して再解釈する研究、最先端のデジタル画像を活用した研究で名高い。国内や韓国・アメリカで開催された特別展への協力多数。主著に『井手誠一回顧展 : 絵に賭けた熱い想い』(1993年、佐賀新聞社)、『日本の宋元仏画』(至文堂、2001年、第13回國華賞)、『寧波の美術と海域交流』(2009年、中国書店)、『Light & color : 絵画表現の深層をさぐる』(中央公論美術出版、2009年)『大徳寺伝来五百羅漢図』(思文閣出版、2014年)等がある。

自分をひとことで言うと?

典型的なO型で天秤座。

 

インタビュー

――先生は佐賀市のご出身だそうですね。まず、ご自身の専門について教えてください。

はい。私は佐賀市の出身で、専門は美術史です。自己紹介で「美術史を研究しています」と話すと、よく「絵を描かれるのですか」と聞かれるのですが、実は少し違います。もちろん絵を描くことも美術に関わる大切な営みですが、美術史は「美術という事象を歴史的に考察する学問」です。作品そのものだけではなく、それがどのような時代に、どのような人々によって作られ、どのような経緯で伝わってきたのかを読み解いていきます。

私は特に、日本にもたらされた大陸や朝鮮半島由来の文物に関心を持って研究しています。仏像や工芸品、建築、絵画などを単なる「モノ」として見るのではなく、まるで一人の人間のように捉えることを大切にしています。どこで生まれ、どのような旅を経て日本へ渡ってきたのか。そして、日本の土地でどのように受け入れられ、人々と関わりながら生きてきたのか――その「人生」をたどるような感覚で研究しています。

――「文物を人になぞらえる」という発想は、とても印象的ですね。

ありがとうございます。私は、美術品や文化財には、それぞれ固有の「物語」があると思っています。たとえば、ある仏像が中国大陸で生まれ、朝鮮半島を経て日本へ伝わったとします。その移動の背景には、交易や外交、宗教、戦乱、人々の祈りなど、さまざまな歴史があります。

つまり、一つの文物を調べることは、一つの時代や地域だけを見ることではありません。その背後には、海を越えた交流や、人々の価値観の変化が広がっています。私は、その文物たちに「昔語り」をしてもらうような気持ちで研究をしています。

昔話を聞くとき、人は自然と耳を傾けますよね。「昔、こんな旅をしてきた」「こんな人々に大切にされてきた」と語り始めると、その文物は単なる展示物ではなく、生きた存在として見えてきます。研究というと、難しい専門用語を使う堅い世界のように思われることもありますが、本来は「ものに宿る物語を読み解くこと」だと私は考えています。

――先生は「過去も異文化である」とおっしゃっていますね。

はい。これは私がとても大切にしている考え方です。私たちは異文化というと、海外の文化や外国語をイメージしがちです。しかし、実は「過去」そのものも、現在とは異なる価値観や生活様式を持つ、一つの異文化だと思うのです。

たとえば、現代の私たちにとって当たり前の感覚が、千年前の人々にはまったく通じないことがあります。逆に、当時の人々が当然だと思っていた価値観を、私たちは理解できないこともあります。だからこそ、過去の文物を理解するためには、「昔の人たちはどのように世界を見ていたのか」という視点が必要になります。

そして、大陸や半島から日本にもたらされた文物は、空間的にも時間的にも、異文化を跨いできた「時空の旅人」です。異なる文化圏を行き来しながら、それぞれの土地で意味を変え、人々に受け継がれてきました。私は、その旅路を丁寧にたどることで、ローカルな地域文化とグローバルな世界史とを結びつけたいと考えています。

――地域と世界をつなぐ研究なのですね。

そうですね。たとえば、佐賀や北部九州には、大陸や朝鮮半島との交流を示す文化財が数多く残っています。しかし、それらは必ずしも「世界史」として語られてきたわけではありません。地域の小さなお寺や神社、街道沿いに残る石造物などにも、実は国際交流の歴史が刻まれています。

私は、そうした地域の文化財を丁寧に見つめることで、「地方」と「世界」は決して切り離された存在ではないことを伝えたいと思っています。グローバル化という言葉を聞くと、どうしても東京や海外の大都市を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、実際には地域の歴史の中にも、古くから国際的な交流の痕跡が息づいています。

その意味で、美術史は単に古い作品を研究する学問ではありません。過去の人々が、どのように異文化と出会い、それを受け入れ、自分たちの文化へと変化させていったのかを考える学問でもあると思っています。

――一年生のPBLも担当されているそうですね。

はい。一年生のPBL(Project Based Learning)では、学生たちと一緒に武雄近隣の街道沿いを歩きながら、美術や文化財を観察しています。教室の中だけで学ぶのではなく、実際に地域へ出て、自分の目で見て、考えることを大切にしています。

街道を歩いていると、普段は気づかずに通り過ぎてしまうような石仏や古い建物、道標などに出会います。しかし、それらには長い歴史があり、人々の暮らしや交流の記憶が刻まれています。私は学生たちに、「これはただの古い石ではなく、何百年もこの土地を見続けてきた存在なんだ」と話すことがあります。

すると、学生たちの見方が少しずつ変わっていきます。ただの風景だったものが、「物語を持つ存在」として見えてくるのです。私は、その瞬間がとても大切だと思っています。

また、PBLでは単に調査するだけではなく、その成果を広く発信することも重視しています。現地で撮影した写真や調査内容をまとめ、地域の魅力や文化財の価値を多くの人に伝える活動も行っています。現代では、研究は大学の中だけに閉じるものではありません。地域社会とつながりながら、その価値を共有していくことが重要だと考えています。

――最後に、学生へのメッセージをお願いします。

美術史というと、「芸術に詳しい人の学問」「知識がないと難しそう」という印象を持つ人もいるかもしれません。しかし、本当に大切なのは、まず「なぜだろう」と感じることです。

なぜこの場所にこの文化財があるのか。なぜこの形なのか。なぜ海を越えてここまで来たのか。そうした小さな疑問が、研究の出発点になります。

そして、過去を知ることは、現在を見つめ直すことにもつながります。異文化との出会いは、決して現代だけのものではありません。昔の人々もまた、異なる文化と出会い、悩み、受け入れ、新しい価値を生み出してきました。

私は、美術や文化財の「昔語り」を通して、学生たちに地域と世界、過去と現在を結びつける視点を持ってほしいと思っています。街道を歩きながら、小さな文化財の声に耳を澄ませてみてください。そこには、教科書だけでは分からない、豊かな歴史の物語が広がっています。

 

武雄の印象

楠の大樹が聳え、湯煙のたちのぼる温泉街。西肥文化の拠点となる可能性をもつ文化都市。

 

趣味、特技、マイブーム

美術館や博物館をめぐるとともに、絵が描かれた場所にたつこと。

 

好きな言葉や信条

若い頃は、「自分で光らねばしょうがない。沼はそう思っている」という実家に飾ってあった筑後の詩人平井光典氏の書額の言葉が好きでした。老境をむかえた今は、愚かであることを自覚し、老いゆく身であることに向き合い、軽やかに生きる愚老軽主人となることを信条としています。

 

愛読書

最近は本を読む時間がありません。

 

研究者情報

https://researchmap.jp/arthistory_asia